下條アトムさんの訃報と功績

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俳優でありナレーターとしても活躍された下條アトムさんが、2025年1月29日、東京都内の病院にて逝去されました。
2023年9月に急性硬膜下血腫を発症し、その後は闘病生活を続けていました。享年は公表されていません。*急性硬膜下血腫とは、頭部外傷などによって脳を覆う硬膜の下に出血が生じ、血腫が形成される状態を指します。

生前、下條さんは数多くの作品に出演し、俳優業のみならずナレーションの分野でも幅広く活躍されました。
彼の最後の仕事は、発症前に収録されたCMナレーションで、2024年10月から放送されていました。

下條アトムさんの家族
下條アトムさんは、俳優の下條正巳さんを父に、元女優の田上嘉子さんを母に持ち、芸能一家に生まれました。
両親から受け継いだ才能を生かし、俳優・ナレーターとして長年にわたり活躍されました。

また、下條さんは一般の方と結婚し一人娘を授かりましたがその後離婚されています。
現在の奥様についての情報は公開されていません。

下條アトムさんの代表作

テレビドラマ
『北の国から』シリーズ(1981年~2002年)倉本聰脚本の名作ドラマでナレーションを担当し、作品の世界観を深める重要な役割を果たしました。
『白い影』(1973年)田宮二郎主演の医療ドラマに準レギュラー出演。
『阿修羅のごとく』(1979年)向田邦子脚本の名作ドラマで、姉妹の複雑な人間関係を描いた作品。
映画
『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(1984年)国民的映画『男はつらいよ』シリーズ第34作に出演。
『陽暉楼』(1983年)五社英雄監督、吉永小百合主演の作品。
アニメ・ナレーション
『ビートたけしのTVタックル』(ナレーション)長年にわたり、番組のナレーションを担当。
『世界まるごとHOWマッチ』(ナレーション)1983年~1994年放送のクイズ番組で、独特の語り口が人気を集めました。
『ブラック・ジャック』(OVA版・ブラック・ジャック役)手塚治虫原作の名作で、1988年からのOVAシリーズで主役を担当。
『風の谷のナウシカ』(1984年)劇場予告編のナレーションを担当。
CMナレーション
日清食品、サントリーなどのCM落ち着いた声が印象的で、多くのCMで採用されました。
下條アトムさんは、俳優としてだけでなく、ナレーターとしても多くの作品に携わり、視聴者に強い印象を残しました。

両親の代表作

母・田上嘉子さんの代表作
田上嘉子さんは、1950~60年代を中心に活躍した女優で、数々の映画やドラマに出演されました。
映画
『みんなわが子』(1963年)邦雄の母役として出演。
テレビドラマ
『この瞳』(1956年、NHK)
『ここに人あり』(1958年、NHK)
『娘と私』(1961年 – 1962年、NHK)
『愛と死をみつめて』(1964年、TBS)
『嘘つき』(1965年、NHK)
彼女は多彩な役柄を演じ、当時の視聴者に親しまれました。

父・下條正巳さんの代表作
テレビドラマ
『北の国から』シリーズ(1981年~2002年)田中邦衛演じる黒板五郎の父・黒板杢次役。
『おはなはん』(1966年、NHK)NHK連続テレビ小説のヒロインの父親役。
『大岡越前』(1970年~1999年、TBS)
『水戸黄門』(1969年~1999年、TBS)
映画
『男はつらいよ』シリーズ(1984年~1996年)3代目「おいちゃん」こと車竜造役を演じました。
『泥の河』(1981年)
『砂の器』(1974年)
『八甲田山』(1977年)
舞台
『肝っ玉おっ母とその子供たち』
『炎の人』劇団民藝でゴッホの生涯を描いた舞台。
下條正巳さんは映画、テレビ、舞台の各分野で幅広く活躍し、「北の国から」や「男はつらいよ」のおいちゃん役として親しまれました。

まとめ

下條アトムさんは、俳優・ナレーターとして数々の作品に貢献し、その独特の語り口で多くの人々に愛されました。
彼の家族もまた、それぞれの時代を代表する俳優として活躍されており、その芸能の才能は受け継がれていました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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